『星と月は天の穴』1/4(日)・5(月)バリアフリー日本語字幕付き上映
肉体的な愛と精神的な愛
男女の関係を描く吉行淳之介の小説「星と月は天の穴」
18才でこの本に出会った荒井晴彦が長年の夢を映画に。
「精神という花が咲いている。
引っこ抜くとその根っこに「性」がぶら下がっていると吉行さん。
引っこ抜いていきたいと」と監督 荒井晴彦。
不可能を可能にした「星と月は天の穴」。絶賛のコメント続出!
名作「Wの悲劇」で出会った荒井晴彦さんの脚本(セリフ)はリアルでずわっと心を揺さぶり官能的だった。 負けてなるものかと戦った日が懐かしい。 監督作品「星と月は天の穴」は原作を乗り越えてエロティックがいや増していて、 今は老いた私でさえ すっかり惚けてしまいしばらく動けなかった。 素晴らしかったです!
脚本講座ではナレーションや文字で説明するのはできるだけ避けて映画的表現方法を探せというが、 この映画ではモノローグも原作の文章の文字も有効に生きていて、文学と映画の幸運な出会いに思えた。 現実と小説の中身も際どく融合して、主人公の気持ちの漂いを浮かび上がらせることに成功している。 1969年の設定も生きていて、色彩の実験精神とともに吉行文学から映画が一歩先に進めたのではないだろうか。 拍手を送ります。
「天の穴」とは、たぶん私たちの心の奥のこと。 見終わって、静かに自分を見つめ直した。
――ぼくにはコンプレックスがないと思っているだろうけど、あるんだよ。 吉行淳之介さんの小説は、映画化するのは簡単なように見えて、不可能に近い。 言葉と仕掛けが多重の意味を持っているので、下手をするとポルノ映画になってしまうからだ。 荒井晴彦監督は、子供が遊ぶための公園のブランコを、性に振りまわされる大人の舞台に使ったり、 印象的なパート・カラーにしたり、小説の文章を巧みに読ませたりして不可能を可能にした。
“咲耶さん、田中麗奈さん——その表情と佇まいの繊細な演技に、思わず息をのむ。 ブランコの描写も映画的に秀逸で、前にも進まないのに激しく揺れるその瞬間に、観る者は生きる力を実感する。 そして、この映画は荒井晴彦監督の自画像と思う。
運命の赤い糸によって誘われた男女は、 星と月の眩い天の穴とは対照的な疚しく暗い穴を希求し、 二色だけの世界がその艶かしい闇を一層際立たせてゆく。 男の朴訥とした口語と詩情を纏う文語の交錯──その沈黙と行間にこそ、性と色香が立ち篭めている。
男は娘ほど年齢差のある女の前で本音を隠して悪ぶり、「星と月は天の穴」だと主張する。娘は男の意識下からこじらせたおじさんの自意識を引っ張り出してはいじる。その姿は滑稽で痛快だ。両者は惹かれあうが、色好みの道でもロマンチック・ラブ・イデオロギーでも不同意性交でもない。名もなき対幻想の形がそこにある。「小説執筆型のメタフィクション」の本格的な映像化がなんとも嬉しい。
ある日、ラピュタ阿佐ヶ谷という劇場で観た『身も心も』という映画にノックアウトされてしまった。この映画をつくった人は、じぶんと同じく、とは言わないが、じぶんのあこがれているところの、「恋愛を人生のすべてと考えている」作家なのだと理解した。その日から、この荒井晴彦という監督の作品はこの先すべて追いかけようと決めた。 その荒井晴彦の新作が吉行淳之介の『星と月は天の穴』の映画化と知ったときは、口に含んでいたコーヒーを吹いてしまうほど驚いた。♪やってくれますね。去年亡くなった父親はこの作家の熱狂的な信者で、その本棚から拝借してつい最近読んだところ、なんだこれは、と絶句してしまった小説であり、「#お漏らし」「#粗相」そして「#総入れ歯」の話、とタグ付けして記憶の倉庫に納めたばかり。 映画は見てのお楽しみ、と言うしかない。どうして今回も綾野剛さんを主演に選んだのですか。なぜ、いま吉行淳之介なのですか。どうしていつも下田逸郎? と監督にたずねてみたい気もするけれど、それはまたいつか。あなたもまた【恋愛を人生のすべてと考えているロンリー・ハーツ・クラブ】のメンバーならば、いまはただシャンパン・グラスを目の高さまで上げ、監督に黙礼するはずだ。
久しぶりに荒井のデビュー映画といえる「遠雷」を見て改めて傑作だと思った。当時は、良い映画を作るうえでシナリオがいかに重要な要素であるかが、私自身にとってよくわかっていなかったのだ。映画は、ワンカット、ワンカットずつのリアリティの積み立てであり、だからそのカットのイメージを決める監督がその映画の語り部だと思っていた。監督がイメージを固める原点はシナリオにあるという単純なことが実感として理解されてなかったのである。助監督上がりのプロデューサーの欠陥かもしれない。 ところで荒井のこのシナリオは、実によくできている。ト書きと動きの表現のバランスがいい。シナリオは映画の設計図だから、スタッフや俳優にとってわかりやすくなければならない。よいシナリオは、まずその基本的なところができている。ベテラン荒井にとって失礼なことだが、良いシナリオは作者が伝えたいイデオロギーや、感じてほしいことをリアリティのあるシーンの中で分かりやすい設定とセリフで伝えるのが基本である。荒井の本質は、小津安二郎や木下恵介のような古き良き日本映画の伝統を継いでいる。願わくばもうすこし大人を素材にした家族ドラマを描いてもらいたい。そこではユーモアもあっていい。映画好きの映画を描けるのが荒井の本質だと思っているからだ。




















