TOP >> WEBコンテンツ >> 洋のつぶやきブログ >> 2016年3月11日

映画で考える3・11からの5年

5年前の3・11は、シアターキノでも上映中に揺れて場内からお客様が少しでて来られたが、映写機は問題なく、そのまま上映は続いていたぐらいだった。でてこられたお客様の中に、新聞社の方がいてすぐに調べて、かなりの大きな地震が起きていると、新聞社に戻られたことを覚えている。
 むしろ、翌日から3日間、是枝裕和フィルムフェスがあって、是枝さんはお越しになれるだろうかといったことを心配して、まだ危機感がない状態だった。でもそのフェスにあわせて長野からお越しになるタテタカコさんは、翌日に連絡があり、福島の原発があぶないらしく、羽田から飛行機に乗るのはやめて、東北の友人に支援物資をとどけて日本海周りから車か列車で行くと連絡があった頃から、原発がえらいことになっていることが伝わってきて仕事も手つかずになっていた。
 無事お越しになった是枝フェスが3日間あったため、そのことで忙しく、またもう一つは、札幌国際芸術祭を札幌に!と市民で一緒になってプレビエンナーレを企画し4月に開催することになっていたので、その実行委員会では自粛の中止案も出たりしたが、私はこんな時こそ文化の力をといって、こんな時に開催するなんて不謹慎だという、いつもおきる変なクレーム等にもめげず、なんとしても開催しようといって、多くのメンバーも同じ気持ちだったので、開催準備にあけくれ、そして被災地支援の動きを私たちなりに作ろうと、山形国際ドキュメンタリー映画祭のところから、山形に支援の拠点を作っていると聞き、はじめはそこに寄付金を送ることにして、募金活動をはじめてと、そういった忙しさがむしろ精神的に安定させることになっていたと思う。普段の日常仕事だけだったら、何人かの友人たちと同じく、鬱になったりしたかもしれないと、5年前を思い出す。
 札幌にもすぐに支援の集まり結成され、ささやかな手伝いや募金活動をやりつつ、集客的にもさすがにシアターキノも落ち込みがあってなんとかキノをつぶさないようにと危機感をもちつつ、やっと7月にミニシアター仲間のいる仙台とずっと伺いたかった宮古のシネマリーンに伺い、つらい生の声を聞いた。その時は、やはり現地に行かなくては伝わってこないことがたくさんあると強く感じた。
 なので10月に山形国際ドキュメンタリー映画祭を2日間にして、福島に一日半いって、フォーラム福島の阿部支配人から数時間ひたすらお話をお聞きした。心の底から深く静かに話される阿部さんの話は、本当につらいものだった。この時から、すでに被災者支援の巡回上映始められていた櫛桁さんと、阿部さんの二つのミニシアターを中心に支援をしていくことを決めた。阪神大震災の支援経験で、中途半端にいろんな支援をするより、自分たちの役割としてできる所に集中していくことの方が、役立つと感じていたので、シアターキノの役割として、そう目標を決めて、キノロビーでの募金もずっと続けていいる。
 おかげさまで、募金も現在まで5年間でトータル87万が集まり、「国際ボランティアセンター山形」「市民支援ネットワーク・札幌(むすびば)」「シネマリーン(被災者支援上映活動)」「フォーラムj福島を通じて、市民放射能測定所と子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」「『福島からのメッセージ』是枝プロジェクト」「相馬高校作品上映会」他に送ったり活用している。
 3・11から5年、1昨年に続いて2回目の阿部さん、今回初めての櫛桁さんをお招きして、5年間の報告とお気持ちを3/14(月)19:00~お話いただく。そのあと、阿部さんと福島の皆さんのお気持ちが表現されているといっても過言でない「セバスチャン・サルガドー地球へのラブレター」を上映する(上映は明日12日~17まで)。そして今回はキノだけでなく、友人たちに呼びかけ「映画で考える、3・11からの5年」と題して3/20(日)にPROVOで、遠藤ミチロウ監督「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」を、3/26(土)には、D&Dで、畠山容平監督「未来をなぞる写真家・畠山直哉」を一緒に上映する。詳しくはキノHPなどをご覧いただきたいが、これからも少なくとも心のどこかに必ず残って、忘れないであろう3・11のことを友人たちと一緒に考える、小さな機会にしようと思っている。

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